自分のことについて
2023年、新しい一年が始まった。
今年は油彩画をいっぱい描こう。展覧会もしたいな。
今回のブログは、自分のことを書こうと思う。
正直に言うと私はあまり自分のことを話すのが得意ではない。どちらかというと苦手だ。
それでも、書いていこうと思う。
制作活動や作家活動において自己と向き合うことはとても大切だから。
作品だけでなく、自分の考えもちゃんと伝えていかないと存在すら知ってもらえないから。
私は小さい頃から絵が好きだった。鉛筆や色鉛筆で自由帳にいつも絵を描いていたのを覚えている。
図工や美術の授業はなぜか神聖なものと自分の中で思うくらい大切で、いつも集中して黙々と描いていた。
中学校で美大に行こうと決めていた。中学1年生の時に美術部で初めて50号の油彩画作品を描き、
油彩がもつ色彩や表現方法、絵の具の感触に驚いた。パレットナイフを使用した表現方法もとても新鮮だった。
勉強もしたかったので進学校に進み、本格的に美術の道に進んだのは高校3年生の頃だ。
授業や中学校の時の部活でしか美術を習ったことがなかったため、予備校での授業はカルチャーショックだった。
今まで自分は絵が得意だと思っていた概念が、ガラガラと崩れ落ちた。
それまで鉛筆さえ削ったことがなく、線による写生や絵具は得意だったが、デッサンはあまりしたことがなかった。
色彩表現においても、ただ上手いだけでは通じなくて発想力が必要だということもわかった。
最初に戸惑った言葉は「面白い」という美術言葉だった。
面白いと言われても褒められているのかわからない、そのくらい美術のことを知らないレベルだった。
一番難しかったのは、デッサンだ。色彩を白黒に置き換えて表現することや線を重ねて描写することが苦手だった。
一本線でモチーフの形を捉えることや絵の具を使用した描写は得意だったので、着彩は楽しかった。
「着彩でこれだけの色彩が使えてたらデッサンでも絶対同じくらい描ける。色彩をただ白黒の濃淡に変えるだけ。」
という講師の先生方からの助言で、難しく考えすぎてデッサンに対して苦手意識を持っていただけだと気付いた。
絵具がただ鉛筆に変わっただけだという発想に変えてからは、デッサンも少し楽しくなった。
色彩表現や立体表現では、良いと講評されている作品の良さが最初よくわからなかった。
いろんな画家の作品を見たり、講評会で目を鍛えることでようやく理解していったのを覚えている。
予備校での体験で一番の財産は、発想する楽しさや絵画は自由に表現しても良いのだということを学んだことだ。
大学では油画を専攻したが、そこでもさらに自由な表現と発想力の強化が求められた。
最初は面白い作品が描けなかった。描いてもあまりデフォルメすることなく、そのまま描くことが多かった。
大学2年生までは自分の作品があまり好きではなかった。作られた感じというか、何か嘘っぽいなと思っていた。
3年生で制作初期は自分が感じたまま描けているのに、途中から作品に対する目線が変わっていることに気付いた。
目が冷静になる前に作品を仕上げる方法を何作も描いて試し、ようやく絵の中で自由になれる感覚をつかんだ。
4年生で2m越えの大作制作にチャレンジし、キャンバスの中に入り込むような感覚で自由に描けるのが楽しかった。
大学院で人物から動物へとモチーフを変え、描き手も左手から右手に変えた。
もともと左利きで鉛筆だけ右で使用していたため、それまでは鉛筆を右手、絵の具では左手と分けて描いていた。
絵の具も右手に統一することにより、より線を自由に使いこなすことができるようになった。
大きな作品を描くことは楽しくて、描き始める前の真っ白のパネルを見てはワクワクした。
多空間を一場面に入れる面白さや絵の具の表現方法にも注目した。今の制作スタイルにもそれはつながっている。
大学では毎日制作した。自由に伸び伸びと制作できる環境を与えられ、自分の世界観や生きる道がすごく広がった。
大学での一番の財産は、尊敬できる先生方や自分と同じように制作にひたむきに取り組む人々と出会えたことだ。
講評などで先生方からいただいた言葉は、今でも自分の制作のヒントになったり、励ましになったりしている。
制作仲間の作品を見て刺激を受けたり、学生時代に個展を経験したことも大きな成長につながったと思っている。
卒業後についてはつづきで。