作品について18

行動を起こしても、何も成果が得られないことは多い。

そういう時は、自分に無理をしている時でもある。

作品が世に出るようになるために、苦手なプレゼンをする機会も多々ある。

気付いたことは、自分に合った場所を選ばなければいけないということだ。

もちろん、いろんな公募に挑戦したり、人に意見を聞くことも意味があるとは思ってはいる。

それでも、自分の作品の良さを本当の意味で理解してくれる目を持った人に、作品を見せることが大切だ。

立体作品も制作していて面白いが、私は平面で勝負したいと思っている。

インスタレーションもしたいし、空間全体を作品で埋め尽くしたい。

実現したいことは、いっぱいある。

それでも、一番大切なことは、平面作品で渾身の大作を描いて完成させることだと思っている。

現代アートが流行る中、平面は特に難しい。

悔しい思いもいっぱいしたし、疑問に思う部分に直面することも多い。

流行に合った作風でないと、あまり作品を見もせずに「わからない」と言われることが多い。

何も作品を深く見ず、知ることすらせず、見ることを放棄しているかのように見えてしまう行動をとる人を見たこともある。

そこまで露骨な態度を示して、何を主張したいのだろうと悲しく思う時もある。

流行以外の作品は、こんな扱いを受けなければいけないのだろうか?

以前、そういう疑問を美術関係の人に聞いてみたことがあった。

「見ないというよりか、見ることができない。美術に携わっている人で鑑賞眼を持っている人は、現在は少なくなっている。だから、流行以外の作品を見ても自分の力で判断できず、すぐにわからないと言うのだろう」という真意を教えてもらったこともある。

「立体は形から入るから、絵の知識がない人でもわかりやすい」と言う人もいた。

誰かが認めた作品は評価しやすいが、どこにも当てはまらない作品をどう評価すればいいかわからないから、見ることすら放棄してしまうらしい。

本当に美術が好きな人にとって、厳しい現状ではある。

いろいろな人が美術に興味を持つようになった一方、商売の目でしか作品を見ることができない人も増えたように思う。

芸術って、いったい何なんだろう?

流行に流されないで、本当に良い作品が認められるように、実力をつけて現状を変えるしかないのかもしれない。

私自身、今は過去の平面作品を超えられていない。

もしかしたら、過去の栄光に囚われてしまっているのかもしれない。

ブランクが原因でもあるのかもしれないが、自分自身の成長が原因でもある。

過去から脱却して、新しい挑戦の成果を出さなければいけない。

その点、立体は昨年から制作し始めたので、過去がないから気楽に自由に制作できるのかもしれない。

新しいポートフォリオをつくろう。

もう過去の作品に頼らずにすむように、新作で埋め尽くせるように。

過去を捨てて、一から出直しだな。

流行に染まりたくないけど、進化はしないといけない。

作品がアップデートできていないのも、事実としてある。

古い殻を脱いで、新しい世界が見たい。

だから、これから見に行こう。